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祖父のこと

 私の祖父は第二次世界大戦の終戦近い頃に出兵して戦死しました。しかし、祖母が亡くなるまで、祖父のことは詳しく知る事ができませんでした。最近になり、親戚からいろいろと教えてもらいました。

 聞いた話を紡いでいくと、祖父は久留米から第56師団として出兵したと思われます。昭和20年4月3日にビルマで戦死したそうです。遺骨は帰ってこなかったそうです。骨壺に石ころが入っていたそうです。それが墓に入っているそうです。

 当時のことを調べるとビルマの戦いは過酷だったようです。祖父の死因は記載されていませんが、ビルマには白骨街道と言われる状況もあったと聞くと、祖父も餓死だったのかな、と想像します。祖父の遺体は回収され積まれたのでしょうか。戸籍に書かれた戦死の日付は、調査に基づくもので実際は違うかも知れないです。
 戸籍(右の写真)に亡くなった地が書かれています。「ミッタ県」なのでしょうか。私には読めません。詳しく知りたいのですがこれ以上の伝手がなく分かりません。

「久留米と戦争の歴史を調べたい」久留米市立図書館のライブラリ案内

 祖父が戦死したのは29歳でした。20歳の妻と2歳半の娘を置いて戦死しました。その娘が私の母です。「戦死」という言葉は何だか勇敢なイメージがありますが、現代に置き換えると例えば、29歳の男性が若い妻や子と引き離され、勝つ見込みの無い戦争に行かされて無残に死ぬ、という感じでしょう。どんな思いで死ぬのでしょうか?残された妻子はどんな思いでしょうか?

 

悲しい。自分の祖父が亡くなった状況を想像すると心が痛いです。また、戦争で亡くなった多くの人々にもそれぞれに悲しみがあると思うと、心が痛いです。その悲しみは、消してはならないと私は思っています。忘れないために絵で残すことは一つの手段だと思って、私は絵「桜花」を描きました。絵に使った「桜花」は特攻兵器で、戦死を象徴するモチーフとして使いましたが、空で亡くなった命も、歩兵や砲兵も被弾した多くの一般人の命もこの絵の中に置いて、鎮魂の思いを込めて描きました。
今後、二度と、命を矢にすることが無いように祈っています。

梅川紀美子
2016年1月6日

※「桜花-OHKA-」絵は2013年3月に制作しました

 

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